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オンライン世界切手カタログ「スタンペディア」創始者のブログです。
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池田健三郎さんのブログへのコメント

本投稿は、池田健三郎さんのブログにおけるポスト「JAPEX最終日 クリティークについて」へのコメントとして書いたものですが、長文だったためか、アメーバブログのシステムからエラーが出てしまい投稿できなかったため、止むを得ず本ブログに掲載したもので原文です。是非上記リンクから元のブログポストをご覧いただいた上でお読みください。

(以下、コメント原文)


こんにちは。いつも興味深くブログを拝見しています。

百人一首や漫画はじめ最近は文科系の趣味も競技を行い活性化することが多いですね。
郵趣はその先鞭で、特に競争展については、世界統一のルールを元に為される競技であり、その点は体育会系の競技者にとっても非常に親しみやすい世界だと感じています。

体育会系の競技の中にも二種類あって、
(1)陸上競技の100メートル走のように誰でも勝ち負けが判断できるものと、
(2)フィギュアスケートのように初心者にはなかなか判断できない審査員競技
があると思いますが競争切手展は明らかに後者ですね。

従って競争切手展を開催するにあたり本質的に必要なのは審査員です。

審査員に対して支払われる経費類は彼らがサラリーマンとして、もしくは経営者として得られる報酬に比較して恐ろしく安価な時給(もしくはほとんどゼロ)だということが二大競争展の決算報告を見るとわかります。

十分な報酬を得ているプロ野球の審判でさえ「絶対」なのですから、ROIに合わない労力をさいてくださっている審査員に対して絶対性を認めるのは出品者の最低ルールであり、それをわきまえていない出品者は出品者の要件を満たしておらず、競争展への出品はまだ早いのではないかと私は思います。

プロ野球でも時々ひどい判定を下す審判がいます。ガルベスの暴投、大豊事件などテレビで生で見ていたこちらからすると激昂するのもわかりますし、外野の観客としてそれを見ていて面白いと感じこともありますが、そうであっても審判は絶対であり、その絶対性を認めない選手が罰されるのは当然のことです。

クリティークにおいて疑問に感じた指摘に対しては、あくまでFIPルールに則った質問をすることが大事なのではないか、その点では、池田さんがまず枝点を聞き、それに従いやりとりをするというのは、よい進め方だと感じました。




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次に審査員の質ですが、これは職業人であるプロ野球の審判に時々「?」と感じてしまう人がいるのと同様で、国際展審査員であっても必ずしも100%正確なジャッジを下せるわけではなく、実に様々であることが実際に国際展に参加するとわかります。

とはいえ最近の国際展審査員はある一定の基準を通過した人物のみに限定されており、そのような人物が審査の中核にいる競争切手展はどの国でもワンランク上の競争切手展として扱われています。競争展の定義は、国際展準拠を宣言する事ですので、それを宣言している日本の二大競争展において、これが今後JAPEXの課題になってくるのではないかと私は思いますし、逆にいえば全日展の強味だと思います。

一方でそのような資格の有無に関わらず国際展で現在揉まれている人々の中にもごく少数ですが正しい判断を下すことができる人がいると思います。というのも競争展の審査には流行(=ファッション)の要素もあり、それは実際の現場でないとわからないためです。従って国際展審査員資格を持っていても長らく審査も出品もしていないと、10年前の基準で審査をしてしまいがちです。

さて翻ってJAPEXの審査員を見ると、上記に該当しない人々が審査をしているのは確かに事実です。

しかし私はそれでも審査員の方々が労力を割いてくださっていることに敬意を表しますし、審査員は絶対だという考えが出発点だと思います。なぜなら彼らが審査員をやってくださらなければ代わりの人がおらず、競争展は成立しないからです。

池田さんが書かれている審査員の質をあげるポイントはどれも的をついたもので、私も大賛成です。JAPEXの審査チームの中にいらっしゃる山田廉一審査員は国際展審査員ですので、彼が今後他の審査員に対して質をあげる努力をしていただければご懸念は杞憂に終わると思いますし、また世界でも数少ないテーマティクのLGを獲得された大沼幸雄審査員や同じくテーマで難しいGを獲得された榎沢祐一審査員が在籍されるテーマティク部門は、ご両名が現在でも現役出品者であり、国際展でもまれているため、既にFIP基準と違わない審査が行われていると感じています。




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最後にお勧めすのはクリティークのセカンドオピニオンの獲得です。

私は真面目に出品している作品については、原則として運営団体のクリティークに参加することに加えて、運営団体以外の審査員にプライベートで作品を今後どのように改善していったらよいか?のアドバイスをお願いしています。

難しい医師国家試験を経た医者ですら、100%正しい判断をくだせるわけではなく、セカンドオピニオンを取る現状が多いことは現在常識です。同様のことを自分の作品へのアドバイスで貰えばよいのです。

そうすれば仮にある切手展の審査員の中に国際展審査員資格を持つ方や最近国際展で揉まれている方が含まれていなくても、正しい収集改善方法を知ることは可能です。

運営団体が努力すべき点であることは確かですが、出品者側も受け身一辺倒の人より、このように汗を書いた人の方がよりよい作品を作れるようになるわけで、そこが差になると思います。

このような努力をしておかないと、「唯一」と勝手に信じているクリティークで疑問に感じる意見をぶつけられた時に、感情的になってしまうのではないかと思います。

何度も書きましたが、どのような質であろうと、審査員は絶対であり、敬意を払う、これが出品者が最低限わきまえる事だと私は思います。
[ 2015年11月02日 10:22 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(1)

こんな切手展が欲しい。。(1)

僕は、FIPルールに従った競争展への参加を楽しませて頂いていますが、フィラテリーの様々な楽しみ方がある中で、それはごく一部でしかありません。その他のフィラテリーの成果発表の機会として、こんな切手展があったらいいなーというのを書きます。


消印切手展

ずばり、FIPルールのマルコフィリールールにある、「マルコフィリーはカバーに限る」という制約を外した消印の切手展です。

ジュニアの時代に、キロボックスからおもろい満月印を探すのが楽しかったこともあって、単片満月印収集は大好きです。例えば櫛型印の局名をなるべく沢山展示したい場合、カバーではなく、単片満月消しを使用するのは、合理的で、場所に比べてのROIも良いと思います。でもって、時々カバーも展示してやれば、アクセントにもなるし、全リーフ一律に二枚の似た様なカバーを展示するよりはいいと思っています。

もちろん消印によっては完全印影が必要なクラシック時代の物や大きな印影もあるとは思うので、カバーだけの展示も否定しないという前提で、完全印影をカバーで展示するという競争展マルコフィリーの制約をとっぱらった、消印切手展があったら、より沢山の作品が世に出て面白いかなーと思います。

ちなみに、日本切手にこだわる必要はありません。ドイツではバイエルンの青に押された、郵便局番号入りの抹消印の単片満月消しコレクションも人気です。揃ったのとか是非見てみたいです。

それから、ある期間のすべての日にちの消印とかも見てみたいですね。
昭和50年代を緑50円で揃えたカレンダーとかも面白いですが、第二次大戦中の全ての日にちを単片満月消しで揃えるのにチャレンジしたり、ってのも楽しいですよね。究極はカバーになるけど、ペニーブラック、1840年5月全揃いとか?FIP展では評価されないけど、すごいコレクションはいくらでもありますね。


10万円切手展

先日、悪友飲み会で盛り上がった話です。予算を10万円以下に限定してワンフレーム展をやったらは面白いのでは?募集の一年後に展覧会を東京だけでなく国内で数カ所で開催してもいいと思っています。是非国際展の上位入賞者にもご参加頂き、お金の制約がある中でどれだけ素晴らしい作品ができるかを競ってみたら、結果として、10万円でもこんなに郵趣は楽しめるんだという事がアピールできて、郵趣の振興になるのでは?と思っています。


FIP審査ルールを勉強できる切手展

国際競争展のルールは、現在競技中のフィラテリスト以外には中々理解されていないと思います。加えて競技中の我々であっても、見解が分かれる、理解が不十分なところがあります。
そこで、何がOK、何がNGみたいなのが理解できる事例集の様な切手展があったらいいと思います。また、FIP審査員資格を持つ人の、模範展示みたいなのを解説付きで見てみたいです。

この審査員資格を持つ人が作成する模範的な作品展というのは、実は盲点で、現役のFIP審査員の方々は開催しておられません。また、それに近いところで僕が毎年楽しみにしているJPSの審査員切手展は、主催側も予め断っている通り、JAPEXの為の模範的な作品を展示する場ではないのです。

でも、競争展に出したいけど、よくわからないよなーと思っている人の背中を押すには、ルールの説明や、こんなアプローチの仕方もあるよ、的な切手展はとてもアピールするのでは?と思っています。



以下は第百回切手市場でゲットした品。
別納印を二種揃えましたが、丁度切り替え時期なので、こういったことが可能になります。
某消しを局名・日付入り部分に、波消しを+櫛型印押し部分に、置き換えていくのがこれからの目標です。
20130709_1.jpg
20130709_2.jpg


[ 2013年07月18日 09:05 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(2)

これからの郵趣文献について

昨年一年は、切手の収集に加えて、郵趣文献の入手につとめた一年でした。
雑誌・単行本とも日本の郵趣文献もかなり揃いましたが、それ以上に大きかったのは11月にドイツのマインツで開催されたHeinrich Koehlerの文献オークションに参加して輸入した段ボール箱にして8箱程の郵趣文献です。

しかし、これらの読書をしようとしたらいくら時間があっても足りません。大半の文献は開いてもいないのが実情です。でも買ってから5年間ほど開いたことの無かった「日本切手名鑑」も全日展に出品した内国葉書の郵便史作品のリニューアルにあたり、より正確な記述をするための後付けとして開くことが最近は度々あります。

ということは、郵趣文献は、(特に過去に発売された物を入手する場合は)事典・辞書的な使い方が念頭に入手しているといえます。Corinphila&Koehlerが出版しているEditionDorやMonteCarloClubのコレクション集も大半の巻は開いてもいませんが、でもスイスのコレクションを作るにあたりより過去のマテリアルをチェックしたいときは、ばーっと見返しています。

しかし、だとすると、このリファレンス的な使い方に、これだけのスペースを取るのはあまり効率がよくないということも気づいています。ROIが圧倒的に悪いのです。

1980年代以降の郵趣、すべてのフィラテリストと日本フィラテリー、スコット切手カタログ、これらについては、僕は全てスキャンして、iPadやPCでPDFとして閲覧しています。「自炊」については色々な考え方があるのは承知していますが、僕は、自分が所有する書籍であり、スキャンした結果を自分でしか使用しないのであれば、どう利用しようが購入者の自由だという立場を取っています。自炊をするときには、背表紙を裁断してしまうので、自炊後の雑誌・文献はそもそも転売もできませんしね。逆に言うと、入手がそれほど簡単でない文献(=市場価値の高いもの)や思い入れの深い文献(日本切手名鑑、JPSのスタンプクラブ全巻揃い)については、中々自炊の踏ん切りがつきません。



ところで、ここでこれからの郵趣文献のあり方の議論を始めたいと思います。
郵趣情報のネット配信がこれだけ増えているにも関わらず、郵趣文献のビジネスモデルはあまり変わっていない気が僕はしています。そしてそのモデルは出版社も著者も儲からず、印刷会社と倉庫業者が儲かるモデルになっているのではないかと僕は考えています。

実際、日本切手のスペシャリストとはとうてい言えない僕が、日本で発行される切手の会報に費やすお金は年間で5万円くらいになっていると思います。(JPSや日本で運営される外国切手の会も含む)これはおつきあいとか交流を目的にするお金として僕はとらえているので、別にそれが高いとかそういうことを言いたいのではありません。
しかし、お金を取る側からすると、取る以上は会報を発行せねばという事もあり、毎週のように色々な会報が届きます。そして、面白いコンテンツももちろんありますから内容にも満足しています。

しかし、会報の発行者の疲弊やほとんど手元に残らない利益を考えると、そこまで無理して会報を発行する必要があるのだろうか、と思うこともしばしばあります。また、会報を発行するにせよ、PDFでいいんじゃね?と思うこともあります。

また紙の郵趣文献の最大の問題は保存と検索という観点から効率が悪いと言うことです。保存スペースを多く取る問題は大半の郵趣家にとって悩みの種であり、その結果、アクセスしやすい書棚に分かりやすく並べることができなくなります。一部の文献は段ボール詰めになってしまい、アクセスすらままならないでしょう。また、内容がリスト化されていないと、かつて熟読した文献でない限りは、探すことがたいへん困難になってしまいます。

もちろん僕がここで思っているのは、紙の郵趣文献をやめてすべて電子化しろ、というような議論ではありません。
ビジネスのやり方の観点で考えれば分かると思いますが、トランジット・ピリオド(=移行期間)を考えずにアウトプット形態を大幅に変える様な事業の進め方でうまくいくようなビジネスはないと思います。IT産業においてすらそうです。

ですから、今後の郵趣文献を考える上で大事な事は、購入者が負担してきた、印刷費や在庫の倉庫管理費をいかに減らして、
(1)著者・出版側の損失の極小化(利益が確保できればなおよい)
(2)購入者の負担の減少
(3)お金を払ってでも紙媒体で読みたい層への提供の継続
という観点から電子化を進めるのが僕の取りたいアプローチです。




[ 2013年07月07日 11:23 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(6)

切手の貼り絵や風景印の収集が、切手業界を活性させるか否か

切手収集は、制約の少ない趣味として成立すると私は考えています。」という記事を五月初めに書いたところ、非常に多くの反響をコメント欄でいただき、建設的な意見交換をそこで行う事ができました。

そこから少し離れますが、今回は、郵趣の裾野を広げる目的で取り組まれている、切手の貼り絵や風景印の収集について、私の考えを書きたいと思います。

郵趣にどこまでの範囲を入れるかの定義は人により異なります。認定の権威は世界的にもないため、(FIPはあくまで競争展の開催元であり、競争展出品者、審査員等以外の郵趣家については決定が及ばない)人により解釈が異なっても私はいいと思っています。

言論の自由ではありますが「あなたの集めている事は郵趣ではない」という発言は、言われる側の気持ちを考えた上で言うべき究極の発言だと私は思います。言われた側の気持ちについての無理解は、自分をその場に置き換えてみると推測可能です。

子供の頃に、東京都練馬区にオームスタンプという切手ディーラーがあり、外国切手を多く取り扱っており、僕も通っていたのですが、ある時、ブータン切手の在庫を確認したところ「あんなおもちゃ切手はうちは置かない」と言われ、あぜんとした事があります。レコード切手や3D切手で有名な同国ですが、ファーストシリーズは普通の切手ですし、変わり種切手も郵便に使用されている以上は切手の一つです。実際、変わり種切手の使用例は最近、世界のトップクラスのオークションハウスでも取り扱われるマテリアルになってきています。本当の知識があれば、究極な発言をすることはないでしょう。もしくは無知の知であってもよいかもしれません。無知なディーラーだったためか大きくなる事はできず、一台限りの切手商でつぶれてしまいましたが。

一方、僕はスイス初期の切手を集めているので、1864年までに発行された切手だけを取り扱っているディーラーとも取引をしています。この業者は二代目に引き継がれ、大きなビジネスに成長しています。ターゲットマーケティング上、クラシック切手に集中していますが、決して、敵を作る様な、どこまでが郵趣の範囲などという発言はしません。

彼らが傲慢であれば、1871年以降に発行された日本の切手など、全て集める価値のないものということになってしまうでしょうが、自分たちにそんな事を言う論拠がない事を理解しているため、先の日本のディーラーの様な無知発言はしないのです。自分が集中する範囲、興味を持つ範囲を決める事は大事ですが、その範囲外へは無視は許されても無知な非難はしないべきです。

私の友人がやっているからというわけではありませんが、切手の貼り絵も風景印も、それにより郵趣の裾野が広がっていると私は感じます。少なくとも確実に言えるのは郵趣の裾野が狭まっているとは感じないという事実で、そちらの方がはるかに大事です。

もちろん、切手の貼り絵を楽しんでいる方が、FIPルールで運営される切手展に作品を出す様になるにはかなりパラダイムシフトが必要だというのはよくわかります。以前古沢君とも意見交換したことがありますが、風景印の収集から入った方についても同様の状況と考えてますという僕の意見とほぼ一緒でした。

ただ、僕がここで強調したいのはその波及効果です。
貼り絵を楽しんだり、風景印収集をされている方に伴われて切手の世界をかいま見た子供たち、家族達は、必ずしも同じ貼り絵や風景印を好きになるだけでなく、別の切手の収集に興味を持つ可能性があるということです。

これを、あまりに遠回りの期待と捉えるかどうかは、各人の持つ時間軸次第です。(ちなみに、スタンペディアプロジェクトの時間軸は、国際競争展参加者を念頭においた上で掲げる「30年後の郵趣人口の確保」に表されています。)
そして、ある打ち手の評価には必ず費用対効果の測定が大事なのであって、スタンペディアプロジェクトとして全く予算をかけていない両分野は、仮に十年に一人でもそういった人が現れてくれればROIとしては極大値になるので、是非どんどんすすめて欲しいなと考えていますし、私個人としては、風景印は戦前を中心とした一部の実逓以外はほとんど興味をもっていませんし、貼り絵については自分でやろうとは思っておりませんが、他者の宣伝のお手伝いなどであればできる範囲でしたいと思います。

少なくとも、無知に基づいてそれらの楽しみ方を批判するのは、無知な批判でしかなく、自分の収集範囲を同様に言われたらどう思うかという類推力を活用して、公にすべきではないと考えています。これは、私たちが掲げる「30年後の郵趣人口の確保」の観点からの意見です。
[ 2013年05月22日 21:05 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(5)

「切手展のことばかり考えるのはよくない」 は本当か?

スタンペディアプロジェクトは、郵趣を制約の少ない趣味として推し進める立場を取っています。
これは、私自身が四半世紀近く郵趣の現場から離れていた復活組のフィラテリストであるから本心からそう思えるのだと思います。

というのも、郵趣の世界の中で議論となっている事の中には、郵趣の世界の外から見たら、どっちもどっちな事が沢山あるからです。何故、狭くシュリンクしていく世界の中で、自分のやり方は良い、他人のやり方はいかがなものか?という事を十分な知識とビジョン無しに語る事ができるのでしょうか。

微細な差異を研究の対象として楽しみ、評価する点が郵趣の楽しさであることに異論はないと思いますが、それが収集対象物ではなく、他者の収集方法への無知な中傷や批評になったら本末転倒です。


今回は、「切手展のことばかり考えるのはよくない」 は本当か?について考えてみたいと思います。まずは、「一心ふらんす、郵趣人生(松本純一 著)の感想」へのコメントで、新進気鋭の大学生フィラテリスト木戸君が書いてくれたコメントをご覧下さい。

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若い層に切手収集を広める際には、展覧会をもっと広めることが重要だと思います。
私が感じるのは、今の大学生は、切手収集は子供の遊びのようなイメージを強く持つようです。
図柄などの興味を促し収集を始めさせても、趣味が多様化している今の大学生には、
正直魅力に欠けます。だいたいは飽きるでしょう。
また、収集は何と言っても、同年齢層の仲間がいるということも大変重要でしょう。

展覧会でやっているような、郵便料金、消印種類、用紙の違い、刷色の分類など、そういう
話を友達にすると、大抵興味を持ちます。中には同じサークルで、入場料を払ってまで、
JAPEXに作品を観にきてくれた奴までいます。

やはり、今の若い世代でも、この例のように、知識的、研究的な興味から、
収集に興味を持つ人はいるということです。
展覧会に出すという目標は、収集の動機となります。
私が収集を断続的に続けてこれたのも、展覧会への憧れ、目標があったからです。
高校受験、大学受験の収集中断期にも、勉強を休んで、JAPEXには必ず行くようにしていました。
たとえ同年代の仲間がいなくても、毎回楽しく参観していました。目標があったので。

「切手展のことばかり考えるのはよくない」
割と耳にする注意ですが、根拠はどこでしょう?
逆に今の現状だと、展覧会から参観させ、興味を持たせる方法が一番だと日ごろから考えています。
文献を読む→マテリアル探し→プレゼンテーション
このサイクルは、今の若い人でも、絶対に興味を引くと思います。
自分の研究を他人に分かってもらうように、プレゼンする趣味は中々ないでしょうし、
歴史、時代を映す封筒や紙片が、興味を引かない訳は絶対にありません。
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大学生時代の私は、残念ながら木戸君のような国際展出品を挑戦するような能力は無かったと思います。僕の同年代では、池田健三郎、井上和幸、内藤陽介の各氏が若手国際展出品者として頭角を表していたと思いますが、私はそうではありませんでした。
ルールを読んで競争するという概念を切手に対して持っていませんでしたし、そもそもほとんど切手を集めていませんでした。

しかし、それでも私は「切手展の事ばかり考えるのはよくない」という意見を放つ気にはなりません。
切手展の事をよく知り、国際的に上位入賞もされた方がそう語るのであれば、それはまだ聞く価値のある発言だと思いますが、そうでない人の同様の発言は、単なるひがみでしかないからです。
当時の私は収集家としては大した事が無かったとは思いますが、少なくとも自分のできないことを達成している人をひがみから中傷する様な事はしないだけの大人ではあったと思います。

一方で、「切手展の事ばかり考えるのはよくない」に対する反論は、全てのそれに臨む郵趣家は当事者であり、行う事ができるものであり、今回の木戸君の論理は極めてロジカルに感じました。

ちょっと横道にそれますがAustralia2013でグランプリドヌールを獲得された佐藤さんが中高生の頃からロブソンローのオークションに参加されていたと聞かされた時は、そりゃーエコー葉書を集めていた俺とは次元が全然違うわな、と絶望感を味わったものです。
郵趣を楽しむジュニアの中には早熟な子供も多数います。そういった彼らに対して一律に子供のジュニア向け雑誌を発行し続けても何もうまくいきません。できる子は、どんどん上の世界に臨ませて行けばいいと思いますし、幸運な事に親や親戚のコレクションを継承できたら、それを使えば良いと思います。何故なら切手の収集という趣味には、金目のものの収集という側面が否定できないからです。

こういう話を書くと「切手展礼賛についていけないジュニア収集家は沢山いる」という反論がでてくるかもしれません。
私がその反論に対してあきれてしまうのは、どうしてセグメンティドマーケティングを考えられないのか?という事です。今や、どんな商品を対象に販売するにしても、単一の購買客を念頭におきません。そういう人は実際のビジネスでは実に多彩な人々をお客さんにしていると思うのに、ジュニア郵趣家となると、一つ以上のマーケティングセグメントに分類できないのです。

子供は同じ歳でも発達の段階も異なりますし、興味の持ち方も様々です。また、家庭の教育方針によって私たちが子供の頃より外国語に慣れ親しんでいる人も沢山いますし、そもそも日本国に居住する日本人以外の方も多くなってきています。従って色々なマーケティングセグメントを想定して、それぞれに合致するマーケティング方法を開発して行くべきなのです。

そして、恐らく十近くあるセグメントの一つとして、競争展出品は位置づければよく、そのセグメントの中では、競争展でより高い賞を取る為にどうすればいいのかを考えるべきだと思います。間違っても各セグメントで頑張っている人々を無知に基づく非難などはしない事が、郵趣の広い普及の為に必要だと考えています。






[ 2013年05月20日 16:03 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(0)

切手収集は、制約の少ない趣味として成立すると私は考えています。

先日発行した samp club のコラムで記載したのですが、私は『切手収集は制約の少ない趣味で「しなければならないこと」や「してはいけないこと」はほとんど』ないという立場です。

私がこの立場に立脚しているのは、少年時代に「あれはだめ」「こうしなければだめ」という教えを沢山受けたにも関わらず、僅か数年後にそれが正しくなかったという事を知った為、切手収集が面白くなくなっていったからです。

ヒンジを使わないのはおかしい、アルバムリーフに整理しないとダメ、シート買いはダメ、切手を売ってはダメ、必ずピンセットを使わなければならない、
これら全部私が子供の頃に受けた指導です。人によっては何で僕がこれらをやり玉にあげているのか?と不思議に思う人もいるでしょう。ですが、僕が問題視しているのは、これらの指導が考え方やベースの指導でなかたことです。そして、独りよがりのオプション無しの制約を沢山与えている事に鈍感である点を問題視しています。

子供は馬鹿ではありません。特に後々になるまで収集を続けて行く様な層は少年時代の記憶もしっかり覚えている層です。だから、「子供に分かりやすく伝える為に簡単にしたんだ」という言い訳はききません。なるべく制約をなくした上で、本当に必要な点だけを最初に示した上で、考え方を教える事が大事だと思います。






ここから種明かし。


「ヒンジを使わないのはおかしい」という制約が不要な理由

・切手商においてほとんどの場合、ヒンジありと無しの間には大きな価格差を設けています。
・切手の製造面の研究において、糊は重要な要素の一つです。
・競争展における未使用の扱いにおいてポストフレッシュなマテリアルである事は、特にクラシックにおいて重要な加点要素。
・ジュニア同士でも、ヒンジ付きは嫌われる。

=>どう指導すべきだったか。
「未使用はなるべく買ったままの状態を保つ事が大事。一方整理道具にお金をかけない事も大事。単価を算出すると、ヒンジ@0.2円, マウント@2円なので、その未使用切手の購入にかかった価格と比べて、どちらの整理用品を使うかを考えよう。」



「アルバムリーフに整理しないとダメ」という制約が不要な理由

・むやみな仮貼りで切手をいためるリスク(前項のヒンジ問題もあり)
・アルバムリーフはプレゼンに最適であり、整理には必ずしも最適でない事実
・意味ない手間がかかりすぎることを必須にする必要はない。
・アルバムリーフを一切作成しない、一流コレクターも世界中には沢山存在する事実

=>どう指導すべきだったか。
「実物の切手を他人に見せること(プレゼンテーション)に最適な方式がアルバムリーフです。切手は個人の財産である一方、人類の文化財でもあるので、特に希少な切手を所有しているコレクターは、その展覧をする態度が賞賛されます。」


「シート買いはダメ」という制約が不要な理由

・製造面の研究で通常、最大のマルチプルはシートだから。
・切手商でも、シートの状態の方が単片の集合よりもはるかに高価な切手がたくさんある。

=>どう指導すべきだったか。
「切手の製造面を理解する上ではシートの形は大事です。しかし一方でジュニアの皆さんはお小遣いを予算立てて使わなければなりません。シートを一つ買って後は何も買わないか、それともシートを我慢してほかの物を買うか。どちらもあなたの自由ですから、自分がより楽しめそうな方法を選択してください。」



「切手を売ってはダメ」という制約が不要な理由
・それがダメなら切手商は皆ダメという事になってしまう。
・それがダメならヤフオクで切手を売っている人は皆ダメなことになってしまう。
・士農工商の身分格差は明治時代になって廃止されているから。

=>どう指導すべきだったか。
「限られたお小遣いを有効活用するには、自分の中の重品を処分することも大事です。しかし二つ程気をつけた方が良い事がありますので、気に留めておいてください。
 一つは自分が重品だと思った切手であっても微妙に違っているバラエティーだったということがあります。ですから後で後悔しない様に勉強し研究した上で手放すかどうか決めるべきです。
 二つ目は買ってくれる人を嫌な気持ちにさせないということです。切手収集の世界は狭いので、悪い事をするとあっという間に噂が広がります。買った値段よりも高い値段で売る事ももちろん構いませんが、その時に嘘やごまかしを入れない事です。一度でもやると取り返しがつかなくなるからです。」


「必ずピンセットを使わなければならない」という制約が不要な理由
・シートやカバーをピンセットでいじると逆に傷がつく。
・百枚束や使用済みのロットをいじる時には必ずしもピンセットは使用しない。
・大事なのは、切手を傷つけないためにはどうすればいいかを考える事を常に行う事。

=>どう指導すべきだったか。
「コレクションは傷がつく度にその価値を失って行きますから、傷つけない為にどうしたらよいか常に考えてください。風通しや埃防止、湿度管理も大事です。また、コレクションを目の前で見たい時には、未使用の比較的小さな切手であれば、切手用ピンセットを使ったり、シート等であれば、ビニール手袋で触る等、とにかく自分のコレクションに傷をつけない事が大事です。逆に使用済みや封筒は、手で触る機会も多いでしょうから、その時には手の油分を抜く事が大事で、こまめな手洗いをしましょう。
 次に他人のコレクションを触るときはもっと注意深くならなければいけません。というのは、どのような切手も個人の財産であり、奪ったり傷つけたりしてはいけないものだからです。ある切手がある時に、それに対する所有者の気持ちは千差万別ですから、まず勝手に触らない事が大事です。そして許可が得られたら、とにかく持ち主の意向に配慮して傷つけずに見る事が大事です。」



※ ちなみに、私が切手収集でまず大事だと思う二点はstamp club創刊号6,7ページにコラムとしてまとめました。

[ 2013年05月05日 19:36 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(7)

一心ふらんす、郵趣人生(松本純一 著)の感想

在日本外国郵便局切手を勉強しているので、松本純一さんの著作は何冊か所有しています。本格的な収集はしていないので、デグロン君カバーは持っていませんが、在外局郵便局経由のカバーをincoming, outgoing問わず機会があれば入手しており、松本さんの研究からは色々と学ばせて頂いています。

そんな松本さんの著作の中で唯一長らく敬遠していて読まなかったのがこの本です。
松本さんとはご挨拶した事がある程度の間柄でしかないため、深く人物を存じ上げない中、LargeGoldまで行っているし、日本の二大切手団体の一方の会長職にある人だし、失礼ながら嫌な読後感が予想できたため敬遠していたのです。

しかし、今月になりたまたま入手し、早速目を通してみたところ、良い意味で予想を裏切られ、とても素晴らしい読後感を得られたため、お詫びも兼ねて感想文を記し宣伝する次第です。
一つだけ言い訳をさせて頂くと、「一心ふらんす、郵趣人生」・・・うーん、この書籍タイトルも読もうという気にならなかった一つの理由なんだよなぁ。僕が担当者だったらどうするかなぁ。

書籍の大半は、松本さんがサラリーマン生活を全うされながら、郵趣を楽しみ、生涯の収集テーマとして横浜フランス局を選択され、国際展で大金賞を獲得される迄の冒険(と敢えて書かせて頂きます)について書かれています。
年俸100億円のサラリーマンがいる一方で、売上数百万資産無しの企業オーナーも沢山いる現代日本では、「サラリーマンである事」が必ずしも「郵趣をやるための戦力が潤沢でない事」と等価ではありませんので、この点は違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、読者対象として若年層を特別にターゲットしていないと思いますので、良いキャッチフレーズだと思います。

書籍が書かれた当時の時代状況を想定して、サラリーマンでない世界的な日本のコレクターで言うと、金井宏之氏(金井重要工業社 社長)水原明窓氏(JPSグループ 創業者)三井高陽氏(三井船舶 社長、三井家一族)等が挙げられ、そう言った方と比較すると金銭的にも時間的にも郵趣に割く事のできるパワーは限定されていた松本さんですので、国際切手展という競争展で、その様な人々と競い戦う為の戦略を立て、遂行して行く様こそが読みどころの一つでした。この観点からすると、この本は、郵便史部門に限らずすべての国際展出品を考えている人に取って参考になると思います。

松本さん同様に、国際展で大金賞を獲得されている方とお話をすると、その収集の初期に収集範囲を考え抜いて絞り込まれ、それ以外のコレクションを処分してでも軍資金を作る努力をされています。国際展での受賞が郵趣の唯一の楽しみ方ではありませんが、一番最初からベストなtreatmentを考えてこの競争競技に参加するという事は限られたお金で郵趣の一部を最大に楽しむ上では必要な事であり、クレバーだと思います。

松本さんは大金賞まで行った後に結局グランプリを獲得する事が叶わなかった事も言及されています。私自身は国際展に参戦したばかりで、周りの金メダルを見てすごいなー、と言っている段階にようやく来れた水準なので、大金賞とグランプリの区別もよく分かってなかったのですが、この本を通しで読むと、ご自身のtreatmentではよほどの幸運が無い限りグランプリは取れないであろう事は松本さんは予め予測されていた様にお見受けいたしました。しかし、在外局全般に広げずフランス局に絞った為に作品とは別に素晴らしいフランス局の研究所を出せた事も事実であり、この過程には一切の恨み節やじくじくした後悔が見られず真田幸村が家康を追いつめながら最後に諦めたのと同じくらいの潔さを感じました。

ここまで、本書籍の大半である、大金賞を取る迄の大冒険の部分から紹介させて頂きましたが、最後の方には面白い記述が結構ありました。一番痛快なのは、第10章の「困った自称郵趣人たち」の項で、ここはページをスキャンして紹介させてもらいました。後ほどまとめてご覧下さい。いくつか抜き出します。

「自分は功労者・上得意なので、特別待遇を受けて当然と思っている人」
「自分の収集分野以外のことを、合理的な理由なくしてけなす人」
「頭の中の時計が止まっている人」
「やたらと親分風を吹かす人」
「なにかにつけて、自分が創始者・先駆者であると、自慢する人」

僕は何年も前の郵趣組織間の争いを免罪符にして、現在の郵趣界での個人の活動を不当に攻撃をする態度は郵趣の未来を作る観点からマイナスだと考えています。この為、当書籍でもそのような内容であれば読みたくないなーと思っていたのですが、松本さんはそもそも郵趣家をIndividualな存在として捉えられており、組織同士の醜聞の記述は一切なく、また一個人の郵趣家としてこうすべきだという部分は、うるさいお小言等ではなく、むしろ当たり前の事しか書いていませんでした。

僕は郵趣を再開してからまだ5年しか経っていないのですが、当初全く地理間のない外国切手を、最初は友達すら居なかった海外で集め始めたのは、日本の切手サークルは封建的なイメージがあり、「いつのまにか、あの人の弟子になってた!」事があるらしい事を若い時に感じていた事がその最大の理由です。

最近になって、南方占領地例会、イギリス切手部会、萬郵会等、日本の郵趣サークルにも次々と参加させていただくに連れ、少なくともこれらの団体においては現在はそのような事はなく、毎回の会合は楽しんでいますが、更に交流が進んで行きますと、時々、古いタイプの大御所(まさに松本さんが書かれた困った自称郵趣人たちに出てくる様な人)に遭遇し、その度に「おー、いたいた!」と心の中で発見を笑っています。

この本はタイトルからだけでは中身がつかめない良書です。私の拙い紹介文を読むよりも、是非こちらからお買い求めください。
私の最大の後悔は「もっと早く読めば良かった!」です。

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[ 2013年04月06日 18:32 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(5)

散文:切手の処分(2)

前回の散文は、「どこで売るか」についてでしたが、今回は「いつ売るか」です。

売る時期については、考えが分かれると思います。
自分が死んだらコレクションの評価は誰もできないから死ぬ前に売りつくすんだという考え方の人が居る一方で、コレクションがなくなったら喪失感が大きいから生きている間は売らないんだ、という人も居ます。
この二つの考えのどちらが良いかは答えがないと思いますし、ここの人の置かれた状況を知らずに一律にこの答えを断言する考えがあるならそれは間違いだと思います。

ここからいくつか事象を取り出すと、
1。自分のコレクションの評価は自分以外できない。
2。郵趣品の評価を郵趣家でない遺族が適切にすることは難しい。
3。郵趣品が普段の生活の中にあることで、生き甲斐を感じる郵趣家は多い。
といったことがあげられるでしょう。

実は僕は5年前に郵趣を再開して以来、購入した物を一切処分していません。
このためメインコレクションであるゼネラルコレクションの作成に伴う不要品は段ボール箱の山でレンタル倉庫がないと回らない状態です。
これは将来に、個々の切手のバラエティや使用例に興味関心を持つ可能性があると思いそうしているのですが、一方で最近出会った若手収集家のやり方は効率が良くたいへん感心しました。

国際切手展を志す彼は、その作品作りに必要なマテリアルを厳選し、自分の収集範囲であっても、作品に必要ないマテリアルについては、どんどん処分し、本当に必要なマテリアルの入手代金に換金していっているのです。このようなケースの一つとしてはロットで商品を入手し、必要な1、2点のみとりだして残りは全部ヤフオクで処分等というやり方もあると思います。

僕がたいへん感心したこの話を別の所でしたところ否定的な意見も聞きましたが、的外れな意見として、「国際展至上主義はいかがなものか?」「切手の転売はよくない」があげられるので、そういった意見がどう的外れなのか具体的に説明しようと思います。

一つ目は、郵趣の自由な楽しみ方の否定なので、誤った意見だと考えています。郵趣の楽しみ方は自由であり、僕も様々な集め方をしてきました。郵便局を巡り風景印を押してもらうことに熱心だった時期もありますし、日本の通常切手に押された珍しい消印のバラエティを集めた時期もあります。競争切手展に参加する作品作りも、こうした郵趣の楽しみ方の一つであり、どの一つの楽しみ方をもってしても、誰かが誰かを否定する事のできない楽しみ方だと僕は考えています。
「他人の集め方を理解できない」というのは勉強不足からくるものなので、しかたないと思います。しかし無知が否定にかわるのであれば何をか言わんやです。

若い収集家で金銭的に限られた状況下で、他の物を集めるのをぐっと我慢して、自分の収集方法を確立し、今できる最大限のスピードでコレクションを作成している姿勢には、年齢を越えて尊敬の念しかありません。恐らく世界の郵趣家からもみとめられるコレクションとなるでしょう。

二つ目の指摘点は、日本独特の士農工商の影響か、沖縄切手投機の反動からか原因は分かりませんが、切手の売買、特に若年層のそれに対して否定的な郵趣家が少なからず居ると思います。しかし、切手商なら仕入れた物を販売して良いのに、個人はだめ、切手商はすぐに転売していいけど、一般人はだめ等、論理的には全く説明できない事だらけです。
経営の観点から言えば、回転率を少しでも挙げる為には転売は最良であり、それは家計でも同一です。また、郵趣品が人類の文化遺産の一つを預かっているという立場からすれば、それはその時その時で最良な郵趣家の手元にあることの方が望ましいわけです。
僕だったら自分が欲しいと思っている郵趣品を、友人が必要ないのに死蔵している方が悲しいです。

フリーマーケットやヤフオクの登場で、だいぶんこのあたりの感覚も変わってきたと思いますが、買い占めや贋作問題と異なり、物を探してきてくれた手間賃、情報を付加してくれる手数料を考えれば、不要品を転売してくれる友人はもっともありがたい郵趣家だと思います。

私もその一人ですが、ありがたくないのはむしろ不要品を処分してくれない郵趣家です。「最悪なのは博物館を作ってしまい、そこに入れてしまう郵趣家だ」と言う話をスイスのDavid Feldmanと盛り上がった事があります。彼にとっては商売あがったりですし、僕にとってはコレクションに加えるチャンスがなくなるからです。そして博物館のコレクションが公開されるのであればまだ良いのですが、滅多に公開されないとするとこれは郵趣品の死とも言えると思います。僕は郵趣には所有する事のできる人類の文化遺産を一時的に預かっているという側面があると考えている立場なので、自分の収集品を博物館に入れてしまう人と、その点についてだけは意見が合いません。歴史的な郵趣家で行くと、ビュルスやボーカーみたいに収集品を再びマーケットに出してくれた人には感謝ですが、タペリングには恨み節ですし、彼の遺志に反して博物館行きが阻止されたフェラーリコレクションには本当に良かったと思っています。ジョージ五世は悩みどころですね。王室にあるから入手できないわけだけど、王室にあるから欧州での郵趣のポジションは高いという点はありますからね。

ということで売る時期については要らなければすぐ売る、という態度こそが自他ともにいつでも一番いいのですが、問題は自分のコレクションに必要か不要かの判断をするのが難しいという事が挙げられます。




[ 2013年04月03日 20:44 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(0)

散文:切手の処分(1)

最近はやっているこの本をご存知ですか?首都圏の電車では3月初旬から広告が出ていますね。著者はこの「老前整理」を登録商標として所有する企業の起業家です。


我々コレクターは、一般的な人の老前整理に比べてはるかに難題のコレクションを所有しています。
そこで、一番幸せな切手の処分方法を追求するため、何回か散文を書散らしていこうと思います。

「大したコレクションは持ってないよ」という人であってもそれなりの思入れのある切手が沢山あるでしょうし、以前ルーズベルトコレクションの話を書いた時にも書きましたが、トップコレクターであれば、大抵の場合その背景には沢山のアキュムレーションがあるのが普通です。
また、「大したことない」と謙遜しているコレクターであっても、処分にあたっては、入手した時の想いを捨てる事が難しく、なかなか納得のいく価格を着ける事が難しいと思います。

一方、処分しやすいコレクションの筆頭は国際展で大金賞もしくはグランプリを獲得した作品ですが、国際展でグランプリを取った作品であれば簡単に売れるか?というとそんなことはなく、かつてスタンペディアエキシビションで紹介した、ニューファウンドランド 航空切手と航空郵便 1919-1948はLondon2010で大金賞を獲得した作品でしたが、世界中に顧客を擁するクリストフ・ガートナーをもってしても、一括4000万円で売りに出てNoBidで結局バラバラにして販売されました。「国際展で勝つには1億じゃぁ足りない」という噂話を耳にすることもありますが、日本切手よりも収集人口が多く競争の激しい英領ですらその半分で大金賞コレクションが入手できるのが現在の郵趣界の趨勢です。

このような状況下で切手を処分するには、行き当たりばったりではなく、よく考える事が大事だと思います。

まず、売る作業(商品説明、集客、代金回収、発送)を他人に任せて処分する場合に最大の満足が得られるのは、その郵趣品がジャパンスタンプ等のオークションでもカラー写真入りで取り扱ってもらえるような、珍しく、高い商品である場合に限定されると思います。この場合、現行切手なら斧田さんのSEVENがいいとか、スイス切手であればCorinphilaに頼んだ方がよいとか、まぁ細かい所では色々とあるでしょうが、国内業者経由で落札価格5000円以上、海外業者経由で落札価格5万円以上のものかと思います。海外にも数千円からリストしているオークション業者はたくさんありますが、彼らは小資本であり日本からの出品に慣れていない為、その利用は余り現実的ではありません。
またオークションの売りは値付け設定が先方任せになる事が多く、その辺りのルールをオークションハウス側は各々開示していますので、それを理解した上で参加する事が肝要です。この辺りのトラブルは多いので、オークションハウス側はきっちりルールを明示してビジネスをしています。

一番満足がいくのは、売る作業を他人任せにせずに、自分でやることだと僕は思っています。日本だとヤフーオークション、海外だとebayがその筆頭でしょうが、このようなマーケットプレイスを通じて自分の所有品を販売するお店を持つ事は一番納得の行くコレクションの処分方法だと思います。













[ 2013年03月31日 20:03 ] カテゴリ:opinion | TB(0) | CM(0)
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オンライン世界切手カタログを作っています。

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